昨年の11月、突然の帰郷…
意識不明に陥った父の誕生日、耳元で、何度もうたった♪Happy Birthday…
結局、家族の願いも叶わず、その3日後の11月6日、
父和夫(享年75才)朝8:39家族に見守られて安らかに永眠……
再び元気に生きる為に、、自ら決断して挑んだ心臓の大手術から僅か、たったの5ヵ月で…
父は静かに、そして突然…帰らぬ人となってしまった。
(「父さんお疲れ様。そして、たくさん沢山ありがとう。」)
上京して21年…子の親になって初めて親の気持ちが解り、
親を亡くして遂に、心底 親の有り難さを思い知らされている。
既にお骨になってしまった亡き父の遺影を見つめる度に、
心にぽっかり穴が開いてしまった心境を噛み締めている。
頑固親父で度々衝突もしたが、心根は優しく涙もろい父だった。
俺は正にこの父の分身な訳で……
もう二度と喧嘩もできないかと思うと、心から寂しく…突然いつも哀しくなる。
…それでも細やかな期待や希望を胸に新たな年(2003年)を迎えた矢先…
1/8 亡父と同い年の我が絵の“心の師”である石渡 団先生逝去……
その悲報が届いたのは、喪中の為失礼した年始のご挨拶のかわりに書いた、
寒中見舞いの葉書を投函した夜のことだった。
悲しい知らせは、いつも突然にやって来る。
開店一周年を迎えた友人の店のお祝いに駆け付けて歌った六本木…
20年来の友人と朝まで酒を交わした翌日の夜、都内を移動中…その知らせは突然届いた。
社会人になって初めて念願のディスクジョッキーに、
ラジオのパーソナリティーを担当した時のディレクターであり、
上京して遂ににメジャーデビューを果たした年も、
真っ先にFMの番組を企画して故郷の仕事をくれた恩人の死…
その僅か3日前の午前中、電話で話したばかりなのに…
電話に出るなり彼女は(病室で)泣き出した。
「大丈夫?」とうろたえる俺に、彼女は哀しげに、しかしはっきりと「もうダメなんだよ」と繰り返す…
そして「(自分に)もしもの事があったら…友人として、姉弟として…大好きなシンガーとして…
スピーチ(弔辞!?)と歌を唄って欲しい」と…何度も念をおして約束をさせられた。
心身共に最も辛い時に、最後の力をふりしぼって電話をくれた人の思いに…感動を覚える。
俺はというとその“約束”に戸惑いながらも「頑張れ」とか「元気ださなきゃダメだよ」なんて通りいっぺんなことしか言ってあげれなかった。
2/1 恩人、神成朋子さん(享年50才)急逝……
まだ小学3年生の一人息子を残して…さぞかし無念であったに違いない……
幾つもの哀しみを胸に、その夜も俺は汗まみれで熱唱していた。
ドラマーはまだ若干21才…若いバンドとの初共演。彼らのラブコールに答えてのジャムセッション。
若い彼らの情熱や、誠実なビートとグルーヴに心を打たれ、、再び束の間…笑顔を取り戻すことができた。
翌早朝、結局殆ど一睡もせずにあの“約束”を果たす為に、
雪国の故郷へと飛び立った。
悲しいことが続くけど…ぼくらは日々、強く、生きていくしかない。
I'll sing for…
just Make somebody happy… Make somebody feels good…
Make somebody feelal'right… Make somebody love…
Feb,2003